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【顔画像】やなせたかしの妻(嫁)は小松暢(のぶ)!馴れ初めは?子供はアンパンマン?

【顔画像】やなせたかしの妻(嫁)は小松暢(のぶ)!馴れ初めは?子供はアンパンマン?

「アンパンマン」の原作者であり、日本の漫画家・絵本作家・詩人のやなせたかしさん。

今回は

やなせたかしさんの妻(嫁)やこどもについて

深掘りをします。

目次

やなせたかしのプロフィールwiki

やなせたかしさんのプロフィールwiki
やなせたかしさんのプロフィールwiki

やなせたかしのプロフィールwiki

  • 名前 柳瀬嵩(やなせたかし)
  • 生誕 1919年2月6日
  • 死没 2013年10月13日(94歳没)
  • 出身 高知県
  • 職業 有限会社やなせスタジオ社長・漫画家・絵本作家・詩人・作曲家

こちらはやなせたかしさのインタビュー動画です。

アンパンマンの誕生秘話や戦争体験について語られています。

やなせたかしの妻(嫁)について

やなせたかしさんは結婚していました。

妻(嫁)について深掘りをします。

妻(嫁)について

やなせたかしさんの妻(嫁)は小松暢(こまつのぶ)さんです。プロフィールは次のとおりです。

  • 名前 小松暢(こまつのぶ)
  • 生誕 1918年
  • 死没 1993年11月22日(死因:乳がん)

馴れ初めは?

やなせたかしさんの妻(嫁)の小松暢さんとの出会いの馴れ初めはどのようなものだったのでしょうか。

やなせたかしさんは中学生の頃から絵に関心を抱いて、官立旧制東京高等工芸学校図案科(現:千葉大学工学部総合工学科デザインコース)に進学します。

しかし日本は戦争で、徴兵のためやなせたかしさんも入営します。

やなせたかしさんの戦争体験の飢えが「アンパンマン」のストーリーにも影響を与えていると言います。

やなせたかしさんの戦争体験の飢えが「アンパンマン」のストーリーにも影響
やなせたかしさんの戦争体験の飢えが「アンパンマン」のストーリーにも影響

空腹で困っている人たちに、アンパンでできた自分の顔を食べさせるヒーローが生まれたのですね。
※https://nazeikiru-web.com/news/kantou2008-2/

戦後の1946年、やなせたかしさん27歳の時に高知新聞に入社します。

やなせたかしさん27歳の時に高知新聞に入社
やなせたかしさん27歳の時に高知新聞に入社

やなせたかしさんは『月刊高知』編集室に配属され、編集の傍ら文章、漫画、表紙絵などを手掛けます。

その職場で出会ったのが妻(嫁)となる小松暢(こまつのぶ)さんです。

やなせたかしさんと小松暢(こまつのぶ)さん
やなせたかしさんと妻(嫁)小松暢(こまつのぶ)さん

結婚はいつ?

やなせたかしさんが小松暢(こまつのぶ)さんと結婚したのは1947年です。

小松暢さんは高知新聞を辞めて転職のために上京します。

それを追いかけるようにやなせたかしさんも高知新聞を辞めて上京し小松暢さんの下宿所に転がり込んだそう。

そしてそのまま結婚。

やなせたかしさんと妻(嫁)小松暢(こまつのぶ)さん
やなせたかしさんと妻(嫁)小松暢(こまつのぶ)さん

やなせたかしさんは上京したのちに三越に入社。

宣伝部でグラフィックデザイナーとして活動する傍ら、精力的に漫画を描き始めます。

漫画家として独り立ちを目指すやなせたかしさんに対して小松暢さんは、

私が働いて食べさせてあげる

といったエピソードもあります。

結婚生活

やなせたかしさんと妻(嫁)小松暢(こまつのぶ)さん
やなせたかしさんと妻(嫁)小松暢(こまつのぶ)さん

妻(嫁)の小松暢さんとの結婚生活はどのようなものだだったのでしょう。

1953年3月に、漫画で得る収入が三越の給料の3倍となったため三越を退職し、専業漫画家となったやなせたかしさん。

しかし代表作にはなかなか恵まれなかったそう。

そんな苦しい中に誕生したのがアンパンマンです。

アンパンマンミュージアム
アンパンマンミュージアム

1973年に出版しますが、その5年後1978年ごろから忙しくなり、限界まで仕事に打ち込んでいたそう。

そのため小松暢さんとはどこにも行かず、家のことは全部任せっきりだったそう。

僕は、仕事以外一人で何もできない人なの。
全部、かみさんにまかせきりだったから

と話すやなせたかしさん。

そして、

出不精な僕は、どこへも行きたがらず、かみさんは友人とグループで山登りをしてた。
※https://www.news-postseven.com/archives/20100930_148.html?DETAIL

このほかにも茶道の先生もしていた小松暢さん。

このようにやなせたかしさんも小松暢さんもそれぞれがやりたことを叶えながら生活していたのではないでしょうか。

乳がんで余命3ヶ月

そんな小松暢さんに1988年乳がんが見つかります。

乳がんだといわれた時は、余命3か月だったそう。

やなせたかしさんよりも体は丈夫な小松暢さんだったので、ぜったい僕より先に死ぬとは思わなかったといいます。

そのため病気がわかった後は

僕は自分の仕事のことしか考えてなかったから、それからいくらか優しくするようになったね。
肩なんかもんであげたりして。
かみさんは肌が荒れるといって照れてたけど、もっと早くしてやればいいと思ったよ。

と病気の小松暢さんに寄り添っていたそう。

やなせたかしさんの看病やワクチン治療や手術の甲斐があって、乳がんがわかってから1年後には大好きな山登りができるまでに回復。

そして余命3ヶ月と宣告された小松暢さんは6年間生きます。

1993年小松暢さんは再入院し、やなせたかしさんの手を握ったまま息を引き取ります。

小松暢さん75歳でした。

生前、小松暢さんはやなせたかしさんがテレビに出演し活躍する姿をみるのが大好きだったということです。そのためやなせたかしさんは90歳を過ぎても精力的にメディアなどに出演し活躍されます。

小松暢さんへの愛の証なのかもしれません。

やなせたかしに子供はいる?

やなせたかしさんと小松暢さんの間に子供はいるのでしょうか。

調査したところ2人の間には子供はいませんでした。

なぜ子供がいなかったのかについての理由はわかっていません。

そんなやなせたかしさんは94歳で心不全で亡くなります。

そのときの遺産は400億円とも言われ、その遺産の行方が話題になりました。

1996年7月に、やなせたかしさんの出身地である高知県香美市に香美市立やなせたかし記念館「アンパンマンミュージアム」が開館します。

香美市立やなせたかし記念館「アンパンマンミュージアム」が開館

生前やなせたかしさんは

アンパンマンは自分の子供

と話しています。

そして1995年に出版したやなせたかしさんの著書『アンパンマンの遺書』。

やなせたかしさんの著書『アンパンマンの遺書』
やなせたかしさんの著書『アンパンマンの遺書』

そこには全財産はアンパンマンに送ると綴っています。

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