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杉良太郎の福祉支援や社会貢献の内容まとめ!総額40億円以上を自腹か!

杉良太郎の福祉支援や社会貢献の内容まとめ!総額40億円以上を自腹か!

俳優の杉良太郎さん。

杉良太郎さんが今までおこなってきた社会貢献や福祉支援に注目が集まっています。

そこで今回は

杉良太郎さんがおこなってきた社会貢献や福祉支援まとめ

について深掘りをします。

目次

杉良太郎のWikiプロフィール

杉良太郎さんのWikiプロフィール
杉良太郎さんのWikiプロフィール

杉良太郎さんのWikiプロフィールは次のとおりです。

  • 名前 杉良太郎(すぎりょうたろう)
  • 本名 山田勝啓(やまだかつひろ)
  • 生年月日 1944年8月14日
  • 年齢 79歳
  • 出身地 兵庫県神戸市
  • 職業 俳優 歌手

水戸黄門の助さん・遠山の金さんなどに出演

1969年には「水戸黄門」第1部に杉良太郎さんが助さん役で出演し話題になります。

水戸黄門の助さん役の杉良太郎さん(右)
水戸黄門の助さん役の杉良太郎さん(右)

杉良太郎さんは1976年「遠山の金さん」に主演し話題になります。

4代目東山の金さんの杉良太郎さん
4代目東山の金さんの杉良太郎さん

その後1976年に4代目金さんを演じましたが「この人ほど“遊び人”が似合う金四郎はいない」とその演技力は大変評判でした。

主題歌「すきま風」シングルレコードは100万枚の売上を記録します。

杉良太郎の福祉支援・社会貢献の内容まとめ

杉良太郎の福祉支援・社会貢献の内容をまとめました。

15歳からボランティアで福祉施設や刑務所を慰問

杉良太郎さんはデビュー前だった15歳からボランティア活動をおこなっていたということです。

杉良太郎さんがデビューしたのは20歳。

デビューするために歌のレッスンに通っていた際、歌の先生に誘われて福祉施設や刑務所などを慰問(いもん)をしていたということです。

慰問とは不幸な境遇の人や、災害・病気で苦しんでいる人などを見舞うということです。

そして杉良太郎さんが中学生だった15歳の時、刑務所のステージに立って歌ったそう。

相当不安でしたよ。
足ががたがた震えてね。
何を歌ったのかまでは覚えていないけれど、とにかく一生懸命歌った。
気持ちが伝わったのか、こわもての受刑者もみんな泣いて拍手をしてくれました。

と当時を振り返っていました。

それからも長年にわたり、刑務官・受刑者に対し、多くの意見交換・講演などを行っている杉良太郎さん。

1996年に受刑者の慰問活動を主な任務とした名誉職である「名誉矯正監」となり、2008年に「特別矯正監」、そして2019年に「特別矯正監」を法務省から永久委嘱されています。

1996年ハンセン病療養所で遠山の金さんの舞台上演

1996年、杉良太郎さんは熊本にある国立療養所菊池恵楓園(きくちけいふうえん)というハンセン病療養所で「遠山の金さん」を舞台を上演します。

実は1991年にも菊池恵楓園を訪れていて、その際に上演を約束していたそうです。

1991年に菊池恵楓園を訪れ、遠山の金さんの上演を約束する杉良太郎さん
1991年に菊池恵楓園を訪れ、遠山の金さんの上演を約束する杉良太郎さん

金四郎の決めぜりふ「一件落着」を言わねばならないのですが、このかたたちには生涯、一件落着はないのだと思うと、胸が詰まって言葉が出てきません。
やっとの思いで声をふりしぼって「一件落着」と言うと、怒涛のような拍手が起きました。
決して忘れられない体験です。

と当時を振り返っていました。

1973年国外で孤児院・障害者施設への援助や学校建設

杉良太郎さんは日本だけでなく国外でも社会貢献をしています。

国外で活動を始めたのは杉良太郎さんが27歳のときです。

アジア諸国やアメリカ、ブラジルなど世界中でチャリティー公演や孤児院・障害者施設への援助を行い、文化交流もしてきました。

バングラデシュでは約50の学校の建設、ミャンマーでは孤児数百人の食事の世話や救急車の寄付を行いました。

1989年ベトナムで孤児院の子供152名を全員養子に

1989年、杉良太郎さんがベトナムハノイにあるバックラー孤児院を訪れた際、衝撃だったと話します。

食べていたのは1食1円のもの。
カビが生えた米に、その辺の草と塩だけが入ったお吸い物、1センチ四方の魚のかけらが2枚だけ

と、その悲惨な食事内容に言葉を失ったそう。

そこで杉良太郎さんは自ら市場でニワトリやブタを買い、それを飼育するための小屋を建てたり、でミシンを買って服を作り、着たり売ったりするサイクルを考えたりおもちゃやお菓子を支援します。

ただ、物の支援だけでは子供たちが満たされない現実に杉良太郎さんは直面します。

お父さん、お母さんが欲しい

そんな子供たちの声を聞き、杉良太郎さんはバックラー孤児院の152名全員を自分の里子にすることを決心します。

1995年阪神淡路大震災で支援活動

1995年1月17日、発生した阪神・淡路大震災。

杉良太郎さんは阪神淡路大震災の直後から支援活動を行います。

杉良太郎さんは阪神淡路大震災の直後から支援活動
杉良太郎さんは阪神淡路大震災の直後から支援活動

大型ヘリコプター2機をチャーターし、被災者避難所へ1000人分の巻き寿司1000人分や飲料水、医薬品、衣料等2トン分の救援物資を緊急空輸し、自らも作業服を着用し長靴で被災地に赴き被災者の救援活動します。

杉良太郎さんは実家が阪神・淡路大震災で被災したそうです。

そのため以降も被災地への支援活動を継続的に行なっています。

2004年新潟県中越地震での支援活動

2004年10月23日に起きた新潟県中越地震。

杉良太郎さんは新潟県中越地震が起きた際にも大量の生活必需品や、冷凍した1000人分の手作りカレーを持って現地入りします。

老人ホームを慰問したり、仲間と共に雪下ろしのボランティアにも参加するなど精力的に支援活動を行いました。

2011年東日本大震災での支援活動

2011年3月11日に発災した東日本大震災。

杉良太郎さんは東日本大震災の被災地への支援活動を行います。

杉良太郎さんは東日本大震災の被災地への支援活動を行う
杉良太郎さんは東日本大震災の被災地への支援活動を行う

救援物資を載せた車両12台を手配し、自ら炊き出しのために現地に赴きます。

当時、支援が遅れていた宮城県雄勝町まで運び、車中泊を続けながら約10ヶ所で1万食以上の炊き出しを提供します。

そのほかにも

  • 支援物資を搭載するため、20トントラック2台、タンクローリー1台、冷蔵・冷凍車2台、車7台で現地入り
  • 水2トン
  • 男女下着類4000枚
  • 歯磨きセット1万セット
  • 入れ歯洗浄剤500個
  • クレベリン業務用セット2000セット
  • だるまストーブ21台
  • 石油ストーブ8台
  • 大量の灯油やガソリン
  • カレーライス8500食
  • 豚汁5000食
  • 野菜サラダ3000食

また、地震で被災し全体の2/3が不通となっていた三陸鉄道の復旧支援ヘッドマークのオーナーとなり、2011年9月28日よりマークをつけた列車の運行が開始されています。

三陸鉄道の復旧支援ヘッドマークのオーナーとなった杉良太郎さん
三陸鉄道の復旧支援ヘッドマークのオーナーとなった杉良太郎さん

2024年能登半島地震での支援活動

2024年1月1日に発生した能登半島地震。

2024年1月19日に杉良太郎さんは避難所・石川県金沢市「いしかわ総合スポーツセンター」を訪問。

杉良太郎さんは炊き出しを3日間行い、自らメニューを考案した肉うどんやカレーや炊き込みごはん、肉野菜炒めや豚汁、果物などを振る舞ったそう。

炊き出しをする杉良太郎さん
炊き出しをする杉良太郎さん

デザートのイチゴのヘタも、自ら1つずつ包丁で切り取っていたということです。

そのほかにも

  • 東京からキッチンカー3台で駆けつける
  • 自分の農園で採れた野菜をふるまう
  • ペーパータオル、フェイスタオル、ボディタオル、スリッパが各600個
  • 下着、スウェット上下、車いす座布団が各200個
  • 高齢者向けの入れ歯洗浄剤

社会貢献・福祉支援に私財40億円以上

杉良太郎さんは今まで社会貢献・福祉支援に私財40億円以上を投じているそう。

そんな杉良太郎さんは常にお金があったというわけではないそう。

「あり余るほどのお金があると思われがちですが、実際は過去には資金集めで銀行から1億円を借りるなど、身を投げうってきた人なんです」と明かすのは、ある芸能関係者だ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/2e187dfedee49deb11796e10ce44a1b8c1c482ef

と関係者は話しています。

杉良太郎さんの私生活はいわゆるセレブ暮らしではなく、堅実な日常を送っているそうです。

売名・偽善者と言われ際に杉良太郎の返しに賞賛の声

売名・偽善者と言われ際に杉良太郎の返しに賞賛の声
売名・偽善者と言われ際に杉良太郎さんの返しに賞賛の声

支援活動を行う杉良太郎さんに対し、「売名行為」「偽善者」と言われアンチも多かったそう。

東日本大震災の際に支援活動をおこなっていた際にもアンチがいました。

しかし、そんなアンチの声にも杉良太郎さんは

ええ、売名ですよ。皆さんもおやりになるといい。
確かに福祉は時間とお金がかかる。
特にお金が無いと見栄えのいい福祉はできない。
でも、お金が無い人は、時間を寄付すればいい。
お金も時間も無い人は、福祉を理解して、実際に活動している人に拍手を送るだけで十分。
それで、もう立派な福祉家なんです。

そして2024年の能登半島地震での支援活動でもアンチの声に対し、

被災者にそんなこと言っている暇は無いんだよ。
被災者にはどうだっていいこと。
明日は我が身。
あなたのところも起きるんだから。
みんなで協力していくしかないんだよ。

と一蹴しています。

そんな杉良太郎さんの声に対して世の中の声は次のようなものがあります。

炊き出しのボランティア活動、簡単にできることではないし、本当に凄いと思います。

杉良太郎さんはあちこちの災害での避難所でよく炊き出しされてますよね。素晴らしい人です。杉さん自身も体には気をつけて活動してほしいですね。

杉さんのボランティアは、すごい。
そして何回も行っているから、ノウハウの蓄積もすごくて、絶妙なボランティア内容。
杉さんの行動に売名とか偽善とか言う奴は、本当に分かってないなぁ。被災地で杉さんに会えただけで、なんか助かった気になるよね

https://news.yahoo.co.jp/articles/a0908b139a8551bb4008ddbf1d54a44892cb2e03/comments

このように的確な杉良太郎さんの支援に賞賛の声が多い印象です。

確かにボランティアや支援活動はお金がないと行えません。

個人レベルで支援したいと思うと返って支援活動の妨げになる可能性もあります。

こちらの記事でも個人レベルでの支援物資がゴミになってしまうことが書かれています。

このように被災地の状況に応じ必要な支援をおこなっている杉良太郎さん。

全て自腹、無償でこのような活動を行うことはほとんどの人ができないことと思われます。

お体には気をつけていただき、今後も杉良太郎さんの活躍を心より応援しています。

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